長 谷 川 等 伯 展
 
時ならぬブームといったら、あの世のご本人が苦笑するでしょうか。東京国立博物館で2〜3月開催された「長谷川等伯展」に入館80分待ちもの長い列ができ、30万人近い観客が押し寄せたからです。大胆な構図ながらも華麗で繊細な筆致の金碧障壁画「楓図壁貼付」に目をみはり、濃い松の木と余白の白が神秘さを醸し出す水墨画「松林図屏風」に吸い込まれるような錯覚を覚える。作風の異なるこの二つの国宝に加えて、青年期から晩年までの作品約80点が多くの人を引き付けたようです。ただ、没後400年記念の展覧会の人気沸騰の理由は、絵画の素晴らしさだけでしょうか。

戦国時代に生きた絵師、長谷川等伯(1539〜1610年)。今の石川県七尾市に生まれ、地元の法華寺院に頼まれて仏画を描く一介の地方絵師でした。ところが30歳代に京都にやってきて才能を開花させ、天下人となった豊臣秀吉の知遇を得て、室町時代から画壇を牛耳っていた御用絵師集団、狩野派を実力と勢力の面でしのいでいった、というサクセスストーリーがもう一つの魅力です。等伯の絵はやがて尾形光琳ら江戸期の絵画に受け継がれて、その後の日本画の大きな流れにつながりました。放送中の大河ドラマ「龍馬伝」の主人公、坂本龍馬が、土佐の一介の下級武士から日本の歴史を大きく展開させる原動力になったことと、どこか共通するものを感じます。伝統の革新を望む胎動が今、あるのかもしれません。

しかし、72年の生涯は果たして幸せな人生だったかどうか。妻を亡くし、後妻にも先立たれ、絵師として後を継ぐほどに成長した長男を26歳の若さで失いました。失意の晩年に筆を執った高さ10メートル、幅6メートルもの「仏涅槃図」は、悲しみの中にも可愛い犬など動物たちが描かれて、余計に作者の喪失の深さを感じさせます。

人の一生とは何だろうか。人生経験の長い人たちは、名画を見ながら、そこに熱い人間ドラマを読み取ったことでしょう。京都国立博物館(4月10日〜5月9日)で、もう一度それを確かめたくなります。
  

medical mates April 2010