週刊誌の「人気タレント・ベッキーの不倫」報道から火がついて、妻の出産直前での不倫発覚により辞職した国会議員、上方落語の大御所、爽やかなイメージだった「五体不満足」著者たちの不倫暴露が続き、今や日本は不倫騒動以外のニュースがないかのよう。火付け役は「週刊文春」など活字メディアでしたが、燎原の火のように拡散させたのはテレビとネットメディアでした。人の不幸は蜜の味とばかりに、民放のテレビニュースショーは午前・午後・夜間と切れ目なく、当事者や関係者の言動を繰り返し放送。さらに1億総発信時代のネット社会では、焦点の人々の言動について賛否の感想をぶつけ合う井戸端会議で盛り上がり、それをまたテレビが取り上げて……という21世紀らしいメディア循環で、いま世界でそれ以外の重要なニュースはないかのような印象を与えます。


結婚している男女が、配偶者以外の異性と性交渉を持つ関係にある。これを一般的に不倫と呼び、民法上は不貞行為とされ離婚請求の事由になります。いわゆる道ならぬ恋は、私たちの身の回りの人間関係を見渡すと、そんなに珍しいことではありません。人間とは何かを深く追求する文学作品では、古今東西、不倫を描いた名作が数多くあります。海外小説では「ボヴァリー夫人」「緋文字」「アンナ・カレリーナ」といった古典がずらり、日本文学でも夏目漱石「こころ」、志賀直哉「暗夜行路」、太宰治「人間失格」、渡辺淳一「失楽園」など数えきれないくらいあります。社会の掟を破ってまでも恋する、愛するという営みの中にこそ人間存在の業がある、という深い洞察力から作品が生みだされ、多くの読者に感銘を与えます。不倫から文化・芸術が生まれることもあるという発言にも一理があるわけです。ただ現実の日本社会には一夫一婦制という決まり、縛りがあり、その規範を破るものには社会的非難やメディアによる制裁が加えられます。夫婦・家庭こそ社会の基礎単位と国家体制の柱にしているからこそ、その安定を崩す不倫は「いけないもの」になる。それが今の社会の成り立ちです。多くの先進国でもほぼ事情は同じです。


とはいえ、この一夫一婦制という正義の枠組みも、明治中期に定めた民法の規定からまだ100年そこそこの浅い歴史しかありません。長い日本史を見渡すと、性交渉に大らかだったという古代日本民族は、平安時代の貴族の通い婚の下でも複数の異性との関係は珍しくなかったようで、不倫小説?の古典ともいえる源氏物語に詳しく描かれています。鎌倉時代から江戸時代までの武家社会の憲法ともいうべき「御成敗式目」や「公事方御定書」では、男女の不義密通は死罪を含めた処罰対象でした。でも、実際はそんなに厳格適応ではなかったようで、しかも武士以外の庶民は割合に大らかな異性交遊を楽しんでいて、この辺が日本人の建前と本音文化DNAとなって今日に伝わっています。21世紀で最高の朝ドラ視聴率を獲得したNHK連続テレビ小説「あさが来た」は、幕末生まれの女性が明治期に実業家として先駆的な活躍をした成功物語でした。ドラマでは優しい旦那さんに恵まれ一女をもうけて、いい家庭を築いていますが、モデルとなった実在女性の史実はというと、夫とお手伝いさんの間に何人かの子どもがいたのだそうです。明治半ばまでは妾(めかけ)も二親等として認められていたのです。大名や貴族、有力商家では「わたし」という個人より「お家」を残す方が重要な時代が長く続いた影響が、昭和から平成の今にも何らかの形で残っています。見合い結婚よりも恋愛結婚が多数派になった1969年あたりを境に、個の結びつきによる夫婦という絆がとくに団塊の世代で強まったことで、それを壊す不倫への風当たりがきつくなったのか。さて、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・性同一性障害(LGBT)という存在が少しずつ認知され、多様な人間関係をより広く認めていこうとする風の中で、今後、一夫一婦制という枠組みがさらに強化されるのか、少しずつ緩んでいくのか。今回の不倫騒動は、何を許し、何を認めないか、わが身に即した人の生きる道を静かに考えるいい機会かもしれません。




株式会社メディカルメイツ