アメリカが中国を抜いてトップになった。これがオリンピックのメダル獲得数争いではなくて、新型コロナウイルス感染者数を報じるニュースなのが残念です。今年1月に中国・武漢市に端を発したこの騒ぎは、今や世界200カ国・地域に達しようかという世界的大流行(パンデミック)となり、本来なら花見気分で陽気になる日本人にも暗い影を落としました。それを決定づけたのが今年7月開催の東京オリンピック・8月開催のパラリンピックが、ともに1年程度延期になったことです。すでにギリシャで採火された聖火が日本に到着し、3月26日福島県をスタートして47都道府県を回る準備が整っていたその直前のIOC決定でしたから、延期報道が流れたときには、全国津々浦々から「ああー」というため息が聞こえるようでした。


ただ、ものは考えよう。延期であって中止ではなかったと前向きにとらえる人が多いようです。1896年から始まった近代オリンピック大会では、これまで夏冬5度の中止があったものの、延期は今回が初めて。古代ギリシャ発祥で紀元前8世紀から紀元4世紀まで一度の中止もなく4年ごとに合計293回も開催され続けた古代オリンピック大会でも、1200年間にたった一度しか延期はなかったという事実に改めて驚きがわいてきます。その古代の人たちの情熱をつないで、名称が変わらぬ2020東京大会を何とか開催したいという思いは、運営を担当する多くの人たちが共有し、さらに磨きをかけてよりいい大会にしようというチャレンジ精神を燃え上がらせるものと期待しましょう。大会の主役となる1万1000人の選手たちもこの試練を乗り越え、本番ではさらにモチベーションを上げて、一段階高いパフォーマンスを披露してくれることを望みたいですね。


今回の感染症世界蔓延の影響を受けたのはオリンピックだけではありませんでした。日本ではすでに春の訪れを告げるセンバツ高校野球が開催中止となり、大相撲3月場所も初の無観客で行われ、プロ野球開幕やサッカーJリーグ再開なども大幅に遅れています。人気スポーツの国際大会も軒並み取り止めや延期が発表されています。素晴らしいプレーによって多くの人たちの心を震わせて元気を与えるくれるスポーツ。それが当たり前のように毎日どこかで行われるという日常が、実はいくつかの前提条件の上にかろうじて成り立っているものであるという厳正な現実に気づかされたのが、今回のコロナ禍の教訓です。雨が降ったら野球は中止になるという経験はありますが、それはその日の天候という一過性の話。ところが、大気汚染でテニス大会やマラソンが中止になるという事態が近年増えてきて、スポーツが安心してできるのは安全なレベルの自然環境があるからこそという認識が急速に高まってきています。しかも一国や一地域にとどまらない、地球レベルの自然環境の保全こそ、スポーツをする喜び、見る楽しみを保証するものだ、という意識が国境を越えて広まりつつあります。世界中で何万人もが死亡した今回の悲劇の中で、この意識の芽生えは国と国との協力と融和につながる今後への明るい光です。スペインの哲学者・オルテガの有名な言葉「私とは、私とその環境である」を借りるとすれば、「スポーツとは、スポーツとそれができる環境の総和である」ということになるでしょうか。スポーツに限らず、今の当たり前を疑う目が深くなる人が1人でも多くなるきっかけになれば、後世の歴史家が今回の延期を文明史の中で意義あるものだったと特筆するかもしれません。




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